東京アスリート認定選手・インタビュー(4)西 勇輝選手(西東京市・新宿区) 陸上競技(身体) (2016/12/1)

~オリンピック・パラリンピックを目指すアスリートを応援~
【東京アスリート認定選手・インタビュー】


東京都では、東京のアスリートが、オリンピック・パラリンピックをはじめとした国際舞台で活躍できるよう、競技力向上に向けた支援を実施するとともに、社会全体でオリンピック・パラリンピックの気運を盛り上げるため、「東京アスリート認定制度」を創設しました。

このページでは、認定選手の皆さんに「スポーツを通して自分を成長させ、スポーツと社会のよりよい関係を考えていこう」というテーマで、インタビューをしていきます。

第4回 西 勇輝選手(西東京市・新宿区) 陸上競技(身体)
東京パラリンピックで結果を出し、夢は始球式!
1人でも多くの人にパラアスリートを応援してもらうために

西 勇輝選手の写真

【プロフィール】にし・ゆうき 1994年2月14日生まれ。西東京市生まれ。現在は野村不動産パートナーズ株式会社に所属。


スポーツが思い切り出来ることが、本当に嬉しかった

「野球選手に憧れて、子供のころ、よく父とキャッチボールをしていました」。車いす陸上T54の短距離選手、西勇輝選手は、先天性の二分脊椎症により、幼い頃から歩行困難だったが、スポーツが大好きだった。読売巨人軍の二軍施設が自宅近くにあったこともあり、小学校から帰ると毎日のように、野球を見に行っていたという。あるとき、車いすスポーツのワークキャンプへの参加を募集していることを知った両親が、西選手をキャンプに連れて行ったことが、彼の人生を一変させた。

練習中の写真

「確か、小学校5年生の時です。そこで初めてパラアスリートを見たのですが、スピードもパワーも迫力があって、すごく格好良くて。そのアスリートの方が輝いて見えたのを、今でも鮮明に覚えています。野球選手には憧れていたけれど、障害のある僕には、軽く趣味程度にしかスポーツはできないと思っていたので、車いすでも、こんなに本格的なスポーツができることを初めて知って、自分も何か思い切りやってみたいと考えるようになりました」。

興味を持ったのは、バスケットボールと陸上。しばらくは、並行して行っていたが、陸上の記録が伸び始めると、大きな大会への道が拓けたこともあり、しだいに陸上一本に絞っていくこととなった。中学3年生のときには、東京2009アジアユースパラゲームズに短距離の日本代表として選出され、ユースではアジアトップクラスの成績を残した。大学1年生では、同大会に日本選手団の主将として出場。100m、200m、400m全てで金メダルを獲得という快挙を成し遂げた。
「本音でいえば、ゲーム性のあるバスケットのほうが楽しかったんです。陸上はシンプルで、ストイックすぎて、もうひとつのめり込めないところもありました。でも、自分の記録がどんどん更新され始めるようになり、国際試合で結果も出せるようになると、陸上競技で勝負したいという気持ちが強くなりました。ところが、100mで"14秒台を出したい"と意識した時から記録が伸びなくなってしまったのです」。


14秒台の壁。初めて肌で感じた世界のトップレベルの実力

車いすのT54というカテゴリーの100mでは、リオパラリンピックの参加標準記録Aのタイムは14秒65となっている。西選手は自力で15秒台前半までは、記録をのばすことができたが、14秒台を意識する頃になると記録が伸び悩んだ。「どこがいけないのか」。
日本のパラアスリートには、コーチが付いておらず、独学で練習する選手が少なくない。国内には、車いすの競技も、義足の競技も、専門知識に長けたコーチがほとんどいないのが現状だ。西選手も、練習相手となってくれる車いすの先輩たちに助言を求めながら、コーチなしで練習してきた。模索に模索を重ね、実行にも移してみたが、結果が出ない。自分でやれることの限界なのか。能力がここまでなのか。出口の見えないトンネル。14秒の壁の前に、どんどん自分を見失っていった。

練習中の写真

そんな時、世界のトップレベルの選手が出場するスイスでの国際大会に、自費であれば参加できるチャンスを得た。何かを学びたいと必死の思いでスイスへ。「初めて生で、シニアの世界のトップ選手の迫力ある試合を観ました。中でも100mの決勝を見たときには、鳥肌が立ちました。会場中の選手がメインスタンドに集まって、クライマックスであるレースをわくわくとした興奮の中で観ていて。最初から最後まで、ずっと大きな歓声が聞こえるような、最高に盛り上がった決勝のレースを観て、僕もパラリンピックの100mのスタートラインに絶対に立ちたい!と強く思いました」。
その遠征で刺激を受けて、ようやくトンネルから抜け出すと、世界のトップ選手達の練習方法を学びたいと、再度スイスへ。世界記録を複数持つ、リオデジャネイロパラリンピック金メダリストのマルセル・フグ選手とも練習をさせてもらった。専門のコーチがいなくても、自分で勉強の機会を創って強くなる。西選手はとにかく行動して道なき道を切り拓いている。


子供たちの希望になりたい。そのためには結果を!

2016年春から、野村不動産パートナーズに入社。自分をとりまく環境が大きく変化した。「あえてパラアスリートのいない企業に就職しました。障害を持った人間が、どんなふうに競技と向き合い、強くなっていくのかを、自分の活動を通して直接、社員の方に伝えていきたいと考えたからです」。活動に必要なもの、予算の申請など全て一から自分で考え、会社と交渉した。「そういうことも、とても勉強になると思いました。会社の方々も休み返上で応援に来て下さって、今まで誰かに応援してもらったことがなかったので、すごく嬉しかったです。それと同時に責任も感じました」。責任は重さも伴うが、西選手にとってはそれが「今まで以上に強いモチベーション」にもなっている。

仲間との集合写真

リオパラリンピック出場は、あと一歩のところで叶わなかった。西選手の種目で、唯一の日本代表となったのは、パラリンピックに7度めの出場となった53歳の超人、長尾嘉章選手。西選手は「東京パラリンピック前に、できれば一度あの舞台を走っておきたかったのですが、準備が甘かったです」と悔しそうに話す。

今の目標は来年の世界選手権出場。自身の武器であるスタートの反応の良さを活かして一気にスピードに乗れば着実に世界が見えてくる。「地元のパラリンピックで、必ずあの100mの決勝を走りたい。海外に単身遠征したり、できることはすべてやり切りたい。僕が昔、野球選手に憧れていたように、僕も子供たちに、そんなふうに見つめてもらえる選手になりたい。東京パラリンピックで活躍して、いつかプロ野球の始球式で投げることが、僕の夢です!」


強くなるためのキーワード

車いす陸上T54ってどんな競技?

陸上競技の車いす種目は、T51~T54まで、障害の重さによって区分されている。T54の選手は、腰から上が機能する。 T53の選手は、腹筋が機能しない。 T52、T51の選手は、上肢しか機能しない。中でもT54は人によって力が入る部位の強弱の幅が大きく、機能に大きな差がある。日本記録は永尾嘉章選手が52歳の時(2015年6月4日)に出した100m14秒07(2016年7月末日現在)。世界記録は13秒63(2016年9月30日現在)。

東京×車いす陸上

現在、東京パラリンピックを控え、陸上に関する様々なスポーツイベントが都内で開かれている。「東京パラリンピックまでに、たくさんの都民にパラアスリートに接してもらうことが、その先にパラアスリートが活躍できる機会を、増やしていくことにつながる」と考え、西選手もできるだけ参加するよう努めている。現在の西選手の陸上の練習拠点は、町田市立野津田公園や江東区夢の島競技場、葛飾区総合スポーツセンターにある陸上競技場など。


【スポーツを通して身に着けられるライフスキル】

競技を仕事として続けられる企業を探す際に、あえてパラアスリート採用の前例のない会社に入社した西選手。今回の取材に対しても明快に、受け答えしていく姿からも、人とコミュニケーションをとることが得意と感じられます。また単身で海外遠征にも出かけるなど、行動力もあり、自分に何が必要かを考え、それを実現するために会社と交渉し、社員の人たちに自身の競技のことを積極的に伝えています。お膳立てされた道を行くのではなく、道なき道を自分で考えながら進むことで、開拓力が鍛えられています。